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●「中道」の見極め
直線のように、その両端が見えていれば、その中間を見出すことは容易です。しかし、終始のない「円」となると、その中心は、円周の実線を逸脱します。また、人生のように、始まりは分かっていても、終わりを知らなければ、生きている間に折り返し地点を認識することもできません。つまり、私達にとって正確な人生の中間点は常に過去にあります。
また、一生において、貧乏のどん底と巨万の富の両方を体験できることも稀で、自発的に大金持ちの地位を捨ててでも貧乏になりたいという方もおられないことでしょう。
結論から申し上げると、私達は、この世で「中道」を見出し、「仏陀」となることも、全ての煩悩を滅することもできない存在なのです。事実、「生き仏」と言われる方にお会いしたこともなければ、自分自身、未だ「悟り」の「さ」の字にすら至っていないことに気づきます。
それでは、「悟り」を目指すだけ無駄なのかというと、そうではありません。いつか悟りを得るために、苦しい修行に耐えている人、念仏を称えている人、日々、迷い、苦しみ、悲しみ、それらを乗り越えようとしている人など、未来への希望があってこそ、生きている喜びも見出せるというものです。その究極が「報恩感謝」なのです。
この世で「中道」を見出せなくても、必ず阿弥陀様は私達を一人残らず救って下さるという誓いに対し、心から感謝できれば、それだけで日々の苦しみから解放されるのです。
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