大阪仏壇の歴史 |
|
|
南御堂(真宗大谷派・東本願寺 難波別院) |
|
大阪仏壇の歴史は仏教の伝来とともに中国から伝わった仏壇(当時は厨子(ずし)が仏壇とされていました)がはじまりとされております。1497〜1498年に南北両御堂(北御堂は浄土宗本願寺派、南御堂は真宗大谷派)が建てられ、大阪の町と文化は更に発展しました。各地から仏師や塗師が集められてその技術の粋を寺院の建設に活用したといわれています。また両御堂の近くには篤信な門徒が集まり、大坂の商業の中心である船場の町を築きました。ここで働く商人たちは、『御堂さん』の鐘の聞こえるところで商売をしたい」という願いをもって商いに精を出したといいます。仏師、塗師、木地師など仏壇の製造に携わる優れた職人グループが形成され大阪仏壇の産地の基礎になりました。そして今日の伝統的工芸仏壇としての大阪仏壇ができあがりました。
|